漠然と最悪

タツムリ探しの午後

 

 漠然と最悪の気分であって、ゲームから離れたとたんに死にたくなった。人体は最悪だ。死ねばいい。そう私が。死。死んだことはおそらくない。それともここで多くの人間がしに続けているのか。自己治療としてのライティングを私はしなくてはならない。乞食が門をたたくことがなくても、自発的に門は叩かれなくてはならないから。もちろんそういうことは含まれている。自己治療仮説に。そうであるならば私が描きだした醜い現像は私であり私が好みにくんだすべての虚像か?わからないのは感情がニュートラルだからではなく、感情の解析のシステムが未熟で甘いからだ。ザルともいう。食事は悪だ。紛れもなく。食べたら具合が悪くなった。サーモンのオープンサンドは不味いとまでは言わないが、決して褒められた出来ではなかった。過去の編纂を積み重ねても死人ばかりが沓を鳴らす。かまわない、かまわないさ、できそこなったところで私の感情語の不備だ。冷蔵庫の中に眠る嫌悪感は今朝の承諾と憎悪で緩やかに瓦解した。手に負えないような気がしているのは実態だが、それもここにはないのだから。雨が降り出したことは、私の、クロチアゼパム服用とは関係があるのだろうか。椅子から転げ落ちないように、せいぜい意識を保てと詩人はのべた。そんな詩人いないけれど、私の死体と衣類、生活史の山の中で死に絶えてゆく記録と軽蔑をせめてこんな場合にくらいは顧みてやってもいいのではないだろうか? 軽蔑は、にこりと微笑み、私は軽蔑に甘い紅茶を供する。茶葉は甘くなく、砂糖がどっさり。解体されるわたくしの遺骸に重ね合わせたのはあらゆる吐き気がする「健全な」言葉たちで、彼らは検閲ののちにも安らかにのさばること請け合いだったわけで、このような墓地にまで見舞いに来なくていいよと伝えた。いやどうしてオープンサンドもまともに作れないのだろうな。自分の瑕疵を掘り返して書きまわしているときのほの暗い興奮にまた見舞われているような気がした。停滞。失態。荒涼。廃墟のような人格者。支える宗派はゲテモノのあげつらい。ならば笑うことさえ阿呆のしぐさだ、やめておいた方がいい、そんなにまでして何になりたいんだい、何にもなりたくはないとも、どこかに一山いくらで落ちているおいしいごみのような何かが産生されることを私は望んでいるわけだが、それでも存在しない頭痛は私の声となり、存在しない精神疾患は実際に存在し、ここに去る現在はここでもどこでもない街へとなり替わる。絶対に油を使って調理するときは戸を閉めておくべきで、酸化した油のにおいが衣類に染みついて吐き気がした。だいたい、ピザがまずかった。まずいものはいくらでもあげられるのに、おいしいものも割とあげられる。それって感覚の過多なのかと閉口してしまうけれど、多分本当に不味いのだと思う。ただ、人間と空間を同じくすることがとんでもないストレスになるから自室に逃げてきたはいいが生活することもまたとんでもないストレスなので、確定申告ができずに犯罪者になる未来が、それまで生きていればね、見えるけれど、未来は忌まわしい、ペテン師の笑顔で私に手を差し伸べ、胸焼けがするような猫なで声でこちらへおいでと招く、そんなものねえよ、くたばれ、はたしてその鉛玉が殺したのは私だが、幸運ってーのはそうないので、生きているのももう嫌ですが、疲れているんです慢性的に、鉄、鉄をもらった。鉄はしかし、鉄剤はしかし、カフェインと相性が悪いときて、当惑するばかりだった。手に負いようがない。じゃあ何でわたしは鬱を乗り切ればいいのさ酒か?

 

 感覚はやはり悪だと感じる。さもなければその辺の幼児を憎むことも、ゴキブリのように忌み嫌うこともなかったはずだ。幼児を忌み嫌うことが一般的であるなら、確かに幼児はごきぶりだが……。ゴキブリ、ムカデ、雲霞、その他の害虫や病害虫に対してそうするように彼ら彼女らのことを憎まなかったはずだ。憎しみを持てば関係へ発展しうるし、私はそんな気味の悪い稚児と関係性なんて持ちたくなかった。誰だって必要以上の関係性の中で窒息し世界が逼塞しどうにもこうにも出口も作らず増改築ばかりする脳みそは足りてるかい? 公開できない人間ばかりが増え続け、世界的に悪辣な背反と矛盾の横行が起こるかもしれない。私がここにいたくないことに、理由なんぞは明確にはないのさ、そう語ろうと、それは別段文字の、音の、行列でしかなく、真相は私にもわからない。出来事を記すのであれば私はストレスから逃れるための行動でストレスをもらい受けてしまい(不特定の対象から)、手に余る疲労ばかり抱えて酒でも飲まないとやってられんよという気味になるものの、お上品だからブランデーボンボンとかいうかしで手打ち。落雁なども甘いからいいけれど、甘いものばかり摂ればよくないので、塩を飲んでいる。まあ嘘の部類だが、塩を飲むのは健康に悪いが、有塩バターで毎朝茶を沸かしているというのも嘘だ。鍵をかけない記憶は簡単にだまし取られあいまいさの中へと落ち込むから、何かを確認する身振りだって時にあ役に立つさと自身にいいきかせるものの、いまだに生活に恐怖していて、公園で立ち止まると幼児の声、園児の声、児童の声、その親どもの声、ああ忌まわしい、獣性の発露ここに極まれり! というわけでタピオカミルクティーを飲むことも公園ではかなわず、というか別にタピオカもミルクティーも好きではないのでタピオカ黒糖ミルクを注文するのだが、私はたぶん単に黒糖ミルクが好きなのだ。タピオカ黒糖ミルク、氷なし、タピオカ抜きで。毎度。雨が降っている。

 

 誘い込むのが閉園したはずの堅牢さや監視社会の相互保障だったとして、どこにも行き場はなく、あらかた調べるような気力もなく、ただ漫然と結婚を忌む文章の破片どもがどこに落ちていたのかを見繕い続けている。しかし足跡も足音も雨で泥に溶け、ハクチョウは叫ぶわけだ、こんな場所に保安はない!こんな場所に保安はない!そうとも、行き先の定まらぬ旅行なら東海道線が一番と聞くが長い東海道・山陽新幹線、飛び降り、出合い頭、周到な錯乱、確認できない厭人症、あたたかな部屋でうずくまっているのは怖いから、誰かに扉を叩けれるのも、隣人の物音も、健康的な生活の強要をされること、私の望むのは果たして健やかな死か、ただ終わりと途絶の隙間に入り込んだ夕日の隻眼がみているものか、それがその青か、ティーカップの裏側の月面を観たいと願うことなんてないよ。諦めが悪い日々はどこかに放棄して、粗大ごみにばかり囲まれるのは愛着が死んできたからかもしれない。人並みに物を捨てられないことがささやかでひそかな誇らしい特性だったから、自身の生活史としてレシートや予備のボタン、動物のフィギュア、などなどは説明書(読みもしないのに)とともに保管していたのに、とても混とんとした形で、だが、しかしそれらは今や足かせ化恐怖になり、そうであろうと私はもはや物を買うことからも物を持つことからも逃れられず、空間を求めながら空白に恐怖するばかり。いや、部屋が狭いのが悪いのか? 部屋が狭いのは悪いが、部屋が広いことは問題の先送り的な妥結でしかないような気がしている。ものを飼い続ければ覆い隠せる鬱は、ものを飼い続けることができたとして、やがてはその己の修正を食らいつくし単なる広範で全般的な鬱へと発展して、物を買うことではなだめられなくなる。物を買うことができることは一定においては有用ではあるのだが、根治ではなく、寛解とも違うように思う。ともかくも忌まわしい何かが私の精神に起こっており、それがなんだろうかの判断は私ではないものがする。文字は、物だ。だから物からも文字からも、私は離れられず、死ぬまで、おびえ続けるのだ、現実と呼ばれ識別されているものの、文字の保護区への侵略に対して。高性能な廃棄物の夢はやがて願う。あたたかくやわらかな毛布と、疎外の形をとる解放を。

映画の感想3?

今夜のおかずはハンバーグ

 

 グリーンインフェルノを観たという話なので、初めての食人族映画とかにタイトルをしたほうがいいのだろうか?グリーンインフェルノの存在は知っていたんですが私は近代文明で起こる殺人が好きなので、それ系はいいかなと思っていたわけです公開当初。ていうか食人族だろ?もう話の筋わかりすぎじゃん。いやストーリーは二の次なのがこのジャンルと言えばそうなんだが、映倫が過保護だった場合、近くの映画館でやってないと、交通費とかがものすごく無駄になるのである。わかるな?

 凄惨で悲惨な人体損壊に金を払っているのに、大したことないオブラートに包んだ表現が出されたらもう来た意味がなさ過ぎて泣いてしまうのだ。だってR18+ですよ。これでだめならもうダメだ!そもそも食人族ものに関心があまりない、多分近くの映画館でやってなかったのか?その辺は覚えてないが、ともかく公開時に見に行かなかったのだがアマゾンのプライムビデオでおすすめされていたのでまあ見放題ならBGM感覚で、眠れないときだったし、観るか、ぼうっと。それくらいなら別に食人族でもいいや。というわけで見たんですが、此方ホラー映画は「ハイテンション」と「マーターズ」と「屋敷女」と「インブレッド」となんだっけな「マニアック」(リメイク)と「死の王」と「ネクロマンティック」「ネクロマンティック2」くらいしか見てないんですよ?食人族発祥っぽい映画見てないし、八仙飯店乃人肉饅頭すら見てないんですよ。「ガーゴイル」はサスペンスの棚にあったしな。いまは無き近所のツタヤの。なので、若干こう、発想はいい最高!でも、なんていうか、技術の限界が悲しい惜しいみたいなケースもあるわけです。屋敷女のラストの皮膚とか。ムカデ人間も見てないんですよ。趣味じゃないし。で、あまり期待しないで見たわけですが、プラチナブロンドの自堕落な口の悪い女性がかわいかったのと、ゴアが良くできてました。自分でもゴアを描いたり書いたりする以上は参考資料を集めたり借りてみたりネットでみたり(最後のはあまり褒められないがいやだいぶ褒められないが)してるというのに(でも何かしらの広告がうざくてliveleakはみません怖いので広告が。英語読めないし。ていうかグロ画像調べてるのに明らかに性的な画像の広告出さないでほしい。仮に性的な意図でグロ画像を探していたとしても、探しているのは普通に性的な画像じゃなくてグロ画像だということが分からないのか?みたいな感じで最近は外科の教科書とかを観てますが。なので、ひどいとかよりもよくできてるなあが先に来ます。が、しっかり飛行機の運転者が首の断面見せてたりよかったです。大抵の映画を退屈して最後まで見られないので……。なかなかいいグロでしたが、話の展開や人の行動に関する感想はありません。血糊が多くてうれしいです。

そとはからを

考えてみよう、人間のない薬物

朝何をしているのか考える。スターバックスに行く。一日分の野菜ならぬ一日分のカフェイン(これは虚偽。朝だけで到底補えはしない)を補給しに行く。でもカフェインは錠剤が売られている。聞くところによるとコーヒー一杯分くらいが一錠だとかなんだとか。であれば、朝必要なものはカフェインなので、それをほうじ茶で飲めば安上がりだ。というか安くあげたいので、こんなことを朝から考えていた。しかし結局のところ、スターバックスにはいくのだ、他にすることもないから……。ほかにすることがあればよかったが虚しさを列挙すると私が死にそう。この場合の死というのは、限りなく悲惨な状態に降り精神がズタボロになって出口が見えないことを指しているので、瞳孔の光への反射の消失や不可逆的な心停止といった実際の、形而下の死を指しているわけではない。それはまあ私だって毎朝スターバックスに寄れればいのかもしれないがスターバックスには消去法で仕方なく、他にすることも行きたい場所もないから行っているみたいな節がありいうなれば時間つぶしであって、何か昨日の失態を思い出して死にたい暗い気分が落ち込んだが、本当に減点されない人間になりたい。それが不可能なことはわかるのだが、減点への耐性が年々、というのは表現上の誇張であって、別に間違いでもないのだが、正しくは毎週、と言ったペースで下落している。悲しい。でも僕鵜はまだ、なんなんだ……確かに書き足りないのだが、身体的に不可能な気がしてくるのだ。毎朝いや、適当にベンゾジアゼピンを飲んでいる。処方はされているので、別に間違いではないのだが、さすがに日に一度の頓用を2度飲んだりしているのは間違いである。些末なものだが。そして間違いではなく、故意に飲んだのだが。なぜなら肩こりがひどいから。風呂に入る気もしなければ一日をつつがなく過ごすこともできないくらいに疲れが実感されやすい。たぶん疲れやすくもあるんだろうと思う。運動などしないからそれが悪いのかもしれないと思うも、歩行は運動ではないんだろうか?一日に4㎞は歩くが足りない?というかそういう問題ではなくて、でもクリスマスではしゃいでいる感じのディスプレイがされた人の少ない時間帯の商店には行きたいがその体力があるかが不安なのだった。たぶん今日は機嫌がいい。肩が痛いとかそういう身体的な問題を棚に上げれば。

本当に治安悪いというか内容が内容なので精神がよろしくない自認のある人は読むかどうかよく検討してくださいこんなもので失調を悪化させないために

 なんか見たものになにかと影響されているので(責任転嫁)性的な話がありますので苦手な人は即逃げろ!閉じろ!忘れろ!

 

 膾になあれ!膾にしてやろうか?体調が悪い。そのせいで食べすぎるし動けないし人間が多い場所に行くと終始呪詛をはいている。なんだかはわかるのだが、たぶん今回分まで対応見送りで、あと、向精神薬だけでは手に負えない。といいつつ薬をばっちり!飲み忘れており。手荒れがひどいので手に負えない。何回目の自意識ですか、架空の意識です。浪費。職の。だめだ字が書けん。さて、薬も飲んだところで今回はブログの感想でいいのか?いや何もかもがかわいらしく思えてくる風紀の不在だった。ていうか怖くないの?他人に体預けるの怖くない?保体の授業中に世界史の資料集読んでたけど、知識が、とか倫理観が、とかそれこそ風紀、とかいう前に怖くない?人間の粘膜だよ?それを軽々に他人と共有するの意味が分からない。いや粘膜は感染を持ちやすいとか習いません?出血しやすいってことは血液感染とか考えません?でなくとも他人の体液に素手で触れてはならないとか思わないの?

 

 まして…………いや対人関係の爛れた様相がどうのとかではなくこう原始的な恐怖は貴殿らにないのかと。こえーよ。人じゃなくて袋でもブラックジャックでもいいんだがとにかく人間の体液が詰まった革袋の継ぎ目とかかかわりたくないと思わないの?血液が好きなの?吸血鬼なの?そういう動物なの?薬飲んでもかけるのこの程度かーー。

 

 というか私は人間と関係を持てないんだろうなと思っている。溝が深い。三の丸くらいは余裕である。なんでそんな防壁があるのか知らないが中学が田舎だったのでまあ中学が田舎の公立中学だったので、そういう、てーのは性的な関係の軽さみたいなのはわからんでもない。うすうすそういうことが起きてるんだろうなと察してはいた、みないふりしてテストだけ頑張ってそういうのが苦手だからそういうことから逃げるために偏差値の県内では高い高校を目指した。でも高校の図書館にあまり印象はない。美術室の後背部分はカオスだったけど。中学の図書館のが印象はあるのだが、これ自分の肉抉るなあ、まあ苦手なはい苦手なんですよ、そういう人間との関係構築が。いやどんな人間とも関係が構築しにくくて、親しいはずの人といても黙り込んでしまい沈黙が気まずくなるも話題が切れておりまず、黙り込むな、次に親しいなら沈黙で気まずくなるな、多少の沈黙が耐えられてこその親しさでは……?などとイマジナリー対人関係常識を持ち出す始末だが、いやあ怖いですね、なんで中学生くらいでそういうことに踏み込めるかわからん、ていうかリスクを考えたらどう考えたって完全な避妊は以下略なのでありえんそんなに金余ってんの?私はもしものことがあって婦人科、実家、堕胎、まで考えて、まあ将来の不在のわが子のコストを思えば堕胎は安いんだがそのような相手がいたことが実家に知れるとさあという気まずさから、もうなんか無理だ。ていうかまず対人関係が通常そういう領域まで発展しない。延々殺人犯のエピソードを述べたりその他猟奇ネタでからかって引かせるのが特に威勢の場合がそうだが知人との居心地のよい距離感だとみるからなのかはしらん。ていうか男性の特徴が好きではないのでまず付き合わない。でも別に同性愛者かと聞かれるといや女性は観賞用だよ!ていうか干渉されるためにあるあの愛らしい(生物にしては)外観!構造。それを己が手で汚すなんてありえない!となるのではい……。って感じだし。というか猟奇ネタで引かない知人は同病相哀れんでる感じだし。そうでない人もいるが外見が良いので見とれてしまう。見とれて満足していやあこんな眼福にあずかっていいのだろうかとか思う。いや、おかしくない?私ごときが見目のよい人間を絵画以外で目にする機会があるとか不当に幸福では?

 なに書いてるかわからなくなったが時々ぼろぞうきんになりたくなります。もうなってるって?ははウケる。

 因みに私は図書館で机に直筆のラブレター?を置かれたことがありますが高校3年受験勉強真っただ中で知らん人間と新規にかかわる暇も労力もない!と放棄しましたね関係の構築を。なにせ試験の成績が良ければ人間扱いされる環境にいたもんで人間にまで気が回らなかったんですよ、向いてもいないと思いますけれどね、向いてないうえにやらなくてもよいなら絶対に上達しないのが対人関係にも当てはまっていて、ていうかたぶん人間は私の言葉や学科の成績やその他から私を買いかぶる危険がありますね。平均値または最良の値を出してる分野で私を評価してしまっているのではないかと怖くてならない、違うといいのですが、というのはまあ動作性IQと言語性IQにかなりのばらつきがあり、もっと言うと知能検査の回項目のばらつきがPDD*とかそれ系ですねって言われたんですが、見かけ上、言語が良いがために私が過大によくなっていたらいやだなって時々思います。私はできないんですよ、学科でそれだけ成績取れればできるだろうじゃないんです、其れしかできないしそれが精いっぱいで、でもほかのことも同様だと人が勘違いするみたいな事態が怖い。

 

*PDD  広汎性発達障害だった気がするが調べてないでうろ覚えで書いてるので気になったら「広汎性発達障害」で調べてみるといいと思います。PDDだと頭文字だから別の疾患や障碍がヒットしうる。

合剤で優勝

優勝してないんですけど、そういうファイル名にしてしまったから仕方がない

 だるい、なんでだ、軽躁は一度味を占めるともうダメ、動けるんだよ……不当に、いまはとても倦怠感を識別している、軽躁がおかしいのだろうか、しかし軽躁であろうができないような難事業を人間たちはなしている、しかも毎日!正気をうたがうが実際なのだからいたしかたがない。青葉に巣食う暗闇のように、不自由を忘れている。本当に何があれば行動ができるのか皆目見当もつかぬ、なぜなら自分はどれほど合剤をぶち込もうが動けないからであるのだが、たしかにOTC医薬品なんか併用しているからいつまでたっても動けるようにならないというのは一理あるのかもしれない、しかしそれにしてもこの深夜の唐突なライティングである、それは構わないか。兎に角慢性的に腹痛があり胃を傷めている気がしてならないが、そうは言えども腹痛を放置することもまた、作業の円滑な実行の妨げになるからして痛み止めを服用するのだが、痛み止めというかその痛み止めであるところの合剤でもあるところのOTC医薬品はまずカフェインがご多聞に漏れず配合されているからこの時点で確実に胃に悪いのだが、其れでなくともロキソプロフェンは其れだけでも胃に悪いことであるし医薬品なんて大抵体に悪いのだが、体が悪い以上、いかに体に悪い成分であろうがいわば寿命の代償に能力を手にするように自身を傷めつけても動かさなければ人間の生活は遅れないのだから、胃がおかしくなるのもある程度はやむなしなのだ、ではしらふで発狂していろとでもいうのだろうかというはなしでもこれはある。抗うつ薬を服用しないとニュートラルにならない人間が抗うつ薬の服用から逃れられないように、身体的な不活性の過度からは医薬品で無理にでも活性を引き上げなくては逃れられない、そう信じてやまない。胃、そう、胃なのだ、どの臓器がいかなる理由で悪いかの鑑別診断はたとえ素人判断だろうがある程度できなければ、日付が変わるのを見届けることすらできない。今日を歩けないといっている。ある程度のあたりがつかないと対処ができない。睡眠の不足、食糧の不足、気圧、感染症、アレルギー、この辺の判別をしないとならない。ことあるごとに原因を問いただすのが大仰で滑稽だというのは簡単だが、早期発見早期治療という言葉もあることだし、そうではないのかもしれないけれど、風邪のような症状が本当に風邪なのか、つまり感染症なのか、単に食料等の不足からくるいわば感染症の陰性なのかという判断は、とりあえず医者に診せるかそもそも何の薬を飲むのか、服薬の必要はなく睡眠や食事をすれば速やかに改善するのか、といった判断の参考として必要ではないのか?もちろん風邪とよばれる多くに対しては、対症療法しかないという点で、風邪以外と大差はないのかもしれないが、そうはいえどもこちらの気分、というか、多少の無理がきくかきかないかの判断には影響が出る。疲れているだけなら無理をしがち。だからいつでも疲れている。とはいえ、たとえば腹痛にさいしてそれが食中毒であった場合などはそのことに気がつかなかった場合の被害は大きいはずだし、特定の疾患であれば打てる手立てがある場合もあるだろう。自分は内科の知識がないので、このあたりにはぼんくらだが。ぼんくらでない対象などないが。食料の不足と気圧では、取りうる対処の違いが大きい。食料ならすぐにでも、動けるうちに食事をとらねばならないが、気圧である場合、よこになってなれるか気圧が上昇するまたは安定するのを待つしかない。もし食事が不足しているのに気圧だと判断してじっと横になっていれば、不愉快で迷惑な、倦怠感やアレルギーのような症状、頭痛、意識があいまいになる、ものの輪郭がろくに見えない、などの現象は改善するどころか悪化の一途をたどる。これはひどい迷惑。ここまで述べていればわかるだろうが、私は体調不良にかかわることを大げさだという姿勢を憎んでいる。きっとよほど頑丈か鈍感な身体をお持ちなのだろうと僻みを隠さずに稚拙な嫌味をぶつける程度には。立ちくらみがよく起こる人間なので、すぐに座り込まないと倒れたりしてより大きな迷惑を人にかけるのではないかという懸念とともに生活しているというのもある。または、嘔吐してしまうだとか、単に動けないことが予定に組み込まれていないために、動けないことで締め切り等に間に合わない作業がでるだとか。これは私の不健康萌えとは関係ない単なる不健康だ。もしくは虚弱というほうが良いか。

煮込まれた石

何でも怖い

 具合が悪くなってきた日の出も近い。

 吐き気がする。布団で眠らないのだからそうだろうなと思う。布団どころかろくに眠っていない。なぜなら私の家族は私の部屋の気密性を過大評価しておりなおかつエアコンをストーブか何かと勘違いしているためだ。私は恐ろしくて学術的な書物が読めない。おそらく独自能力はあるはずだし、ある程度なら内容理解もできようと思われるが、それでもまず手に取ることができない。文体への恐怖。しかし新書は内容に不安があり怖くて手に取れない。玉石混交だったらどうしよう。文芸書の玉石混交とはわけが違う。有害性の程度が段違い。新書に書かれていることはかなり事実寄りの印象だ。文芸書で石を引き当てたところで胸糞悪いとか、文章が気に食わないとか、退屈だとか、その程度の害しかなさないと思われるが、事実的なものを読もうという心づもりで新書を手に取りそれが石だった場合私はどうしたらいいのか。適切なことになっている教材ばかり与えられてきたと思いこんでいる身からすれば自身で良悪の判断を行うなんて面倒を通り越して恐怖でしかない。椅子の上でまどろんだりしようにも足が冷え切ってしまいできそうにない。その点、医学の教科書は尤もらしい気がする。医学部の図書館にある本ならおそらく選定を経ている気がする。第一私は医学生でも研修医でも医者でもない。だから間違えたらごめんなさいで済む。恥ずかしいだけだ。しかしもし、普通は間違えないような日常的な知識で虚偽の俗説を大真面目に信じ込んでしまったら……と思うと目も当てられない。そんな悲惨な失敗はしたくない。私はゴミだしゴミだし廃棄物だし目も当てられないクズだけれどなまじ高校の学科ではそこそこの成績をとるにいたったことができたせいで、それなりの私大の受験に合格してしまったせいで、というか暗記だけは人並みにできるせいで、それらを誇ってしまうせいで、間違えることが何より恐ろしいのだ。教科書の暗記は右から左なのでその心配はなかった。少なくとも試験においては形式的に正解があるのでそれさえ覚えていればなんの問題もない。それは間違いだと言われようと、あくまで私がしたことは覚えることだけなんて言い逃れもできよう。ああいやだ。

遊水池の涵養

無理だって

 なにもなかった。初めに悲惨があった。次に抑うつがもたらされた。その妹が生命だった。それから何も見えないと困るのでまとめて機銃掃射して終わりにした。火器の製造に時間がかかったせいで死体の埋却処分までに7日もかかった。まあそれは置くとして、割とだめなんだった。なにがですかー私です。食事と体型維持と人格と批判的精神と書評の合間で泣きそうになっている私はどこにも行きたいわけがなくでも本屋には行きたいけれどそんな文化的な人間かどうかで悩み、本屋の商品の傾向が私を喜劇的なすれ違いを持っている予期から、本屋に行く前から罪悪感に依らない頭痛を感じている。

 ダメすぎて太るから飲むのを避けようと思っている酒を食べた。アイスクリームにかけて食べたのだから食べたというほかない。なくなってきたけれど、飲みやすい白ワインとまとめて買うかが悩ましい。その辺の薬局にもあるようなものなのでその辺の薬局にそうだ酔った勢いで散歩したらどうか、きっと幸せになれる、きっときっとにやにやしながら歩いて不審者だと思われるけれど職質されたことはない。白ワイン、非常に飲みやすいものを飼ったせいで絶対あり得ないはずの量の飲酒をしていてよくないんだけれどよくないのはこういうことじゃなくて、酒でごまかさないと立ち行かない私なんだよ。

 精神科薬飲んでいてもだめで、食事するたびに泣きそうになる。なぜこんな汚いものを体内に入れないとならないのか。放置したら腐るものが汚くないはずない。食事は好きだが毎日するようなもんじゃない。どう考えても道徳的に罪があるレベルで非難している。罪悪であり害悪なので全身全霊で避けるべきだ。だれだってきっと言い分に納得してくれるさ、だって食べ物は泥まみれで、腐敗して、甘くて、ハエの大好物だから。それが冷徹な清潔を持っているなんて妄言、誰が吐けるだろうか、いや、だれもそんなことは言えない。でもとにかく私は何もできないのだ。生きることもできないし、文章もまともに書けなければ、食事も、体調の維持もできず、一日に十何時間合計で眠り、翌日やや健康そうなそぶりをしたから集団の人間の恐怖症にさいなまれる未来なんて忘れた外出をしてお釈迦。

 現在位置の確認に書き記した騒音の記録がさっきから僕の徒歩の計測。何時の日だってうつ病で、そうして自傷行為のジャンキーだ。どうしようもない衝動が覚めたところでモツなんて描けない。なぜ、だろう、衝動が行動にショートしたからか?絵でワンクッション置けなくなったのかもしれないし、たんに描きあきただけかもしれないし、自分の血を見る方が架空の血を書くより楽しいのか、血液だって不潔だけれど、食事は不潔でないなんて言う話がまかり通るとは信じたくないな。そうだろ。アニメを見続けることができなくて寝入る程度に体力がなくて、人間の頑丈さに途方に暮れるような気が遠くなるような感情を持ってから、常同もまた不潔な雰囲気をまとっていると感じた。私を滅する私は私に呼び出されていないのか。

 出かけることからも恐怖をかみ砕いて。