そとはからを

考えてみよう、人間のない薬物

朝何をしているのか考える。スターバックスに行く。一日分の野菜ならぬ一日分のカフェイン(これは虚偽。朝だけで到底補えはしない)を補給しに行く。でもカフェインは錠剤が売られている。聞くところによるとコーヒー一杯分くらいが一錠だとかなんだとか。であれば、朝必要なものはカフェインなので、それをほうじ茶で飲めば安上がりだ。というか安くあげたいので、こんなことを朝から考えていた。しかし結局のところ、スターバックスにはいくのだ、他にすることもないから……。ほかにすることがあればよかったが虚しさを列挙すると私が死にそう。この場合の死というのは、限りなく悲惨な状態に降り精神がズタボロになって出口が見えないことを指しているので、瞳孔の光への反射の消失や不可逆的な心停止といった実際の、形而下の死を指しているわけではない。それはまあ私だって毎朝スターバックスに寄れればいのかもしれないがスターバックスには消去法で仕方なく、他にすることも行きたい場所もないから行っているみたいな節がありいうなれば時間つぶしであって、何か昨日の失態を思い出して死にたい暗い気分が落ち込んだが、本当に減点されない人間になりたい。それが不可能なことはわかるのだが、減点への耐性が年々、というのは表現上の誇張であって、別に間違いでもないのだが、正しくは毎週、と言ったペースで下落している。悲しい。でも僕鵜はまだ、なんなんだ……確かに書き足りないのだが、身体的に不可能な気がしてくるのだ。毎朝いや、適当にベンゾジアゼピンを飲んでいる。処方はされているので、別に間違いではないのだが、さすがに日に一度の頓用を2度飲んだりしているのは間違いである。些末なものだが。そして間違いではなく、故意に飲んだのだが。なぜなら肩こりがひどいから。風呂に入る気もしなければ一日をつつがなく過ごすこともできないくらいに疲れが実感されやすい。たぶん疲れやすくもあるんだろうと思う。運動などしないからそれが悪いのかもしれないと思うも、歩行は運動ではないんだろうか?一日に4㎞は歩くが足りない?というかそういう問題ではなくて、でもクリスマスではしゃいでいる感じのディスプレイがされた人の少ない時間帯の商店には行きたいがその体力があるかが不安なのだった。たぶん今日は機嫌がいい。肩が痛いとかそういう身体的な問題を棚に上げれば。