不定愁訴・ブラックメタル

 あからさまなのか

 不定愁訴のなのだろうか、下書き、出来事である。音が過剰に大きく聞こえ、部屋がやたら明るかったため普段部屋を暗くしないために点灯させている卓上燈を消灯したが部屋が明るくなるはずがないため私の神経系に問題があるとみるのがはやいだろう。とはいえ卓上燈も消えていると寂しいもので、すぐに復帰した、ブラックメタルって書いてあったからブラックメタルなんだろうとおもいながら、歌詞をほぼ知らない曲を聴いている。端的には Grim Stars くらいしか聞き取れない。しかもstarが複数形なのかもわからない。聞き取れないからだ。むしろgrimが聞き取れて驚きである。昏い星々と言ったところだろうか、ジャンル的に。と記憶が不安なので調べたら不気味、とか陰惨ちっくな意味が出てきたの普通にどこに海馬置いてるんだって感じですが。不定愁訴できる人間がブラックメタル聴いてるかよ、いや

 ブラックメタル聴きながら不定愁訴する?

 なのだが、不定愁訴、は仕方がないし、それが外部の騒音からきているとなればメタルを聴くのももっともなのであって、それは音楽には外部の騒音には望むべくもない秩序があるからって百万回くらい書いた。大体の原因はおそらく眼精疲労と見当がつくから画面で文章を書くべきではないのだが、書字するほどの体力がない。仕方がないのでキータッチだ。ちなみに聞いているのは Belzebubs 。だいぶ眠いのだがこれカフェイン効用でてるのか?医薬品に関して、症状に関して、症状の手に負えなさと理不尽な身体に関して、語りたい気分はかなりあるが、たとえば量的に大量の書かれたものをかき集めて依存性の高い医薬品の販売を規制する試みが出た時に困るのは誰か、まあ依存性の高い医薬品に頼ってなんとあkしている時点で医療機関で正式に治療を受けるべきなんですが、通常の、とされている最大公約数的活動レベルで生活できない身体的または精神的、いうなれば心身の脆弱性を抱えた人間が要求される最大公約数的活動量をこなすために無理をしだしたあたりから薬物依存に入るなんて―のは普通に考えられるわけで、ベースラインが鬱、ベースラインが低活発な人間がどう活動することを可能とするかっていうのは問題なんでは?と思わなくもないけれど私は社会学者ではないし別に目指してないし、精神科と社会科学みたいな雑誌あったかな?まああれば読むけど。ベースラインが他人の病気レベルなわけで、齟齬も生じるでしょうと考える。因みに心身の脆弱性が依存・嗜癖などへつながる話は、エドワード・J・カンツィアン(用語説明)、マーク・J・アルバニーズ(用語説明) 著、松本俊彦(用語説明) 訳の、星和書店から出版されている『人はなぜ依存症になるのか 自己治療としてのアディクション』に書いてあります。それを私は読んでいるので受け売りですね。実際わたくしも処方薬の指示に従わない服用をするときがありますが、えーここでそれは私が耐え難いときですって書いたらきれいにまとまりすぎてそれはないだろってそれはない、そうではあるけれどそうじゃない、文章として終わってしまう……。精神が手に負えないときに前々回処方されたリスペリドン飲んだりとかね、あれ、まともじゃん、まともでした。怒りを感じるわけですよ、産業革命以後の工業化社会で時計に随って生きる人間であるところ私の、高校の頃は時間割にしたがって生きる私の、規則的に動作するべき身体が不規則な変化をみせるのが、変化というか変動を持つとでもいうべきか、とにかく動作に安定がない。定時に寝て定時に起きるができない。休息しようにも悪夢が怖くてできない。休息できないのでエスプレッソでも飲んで動くというか無理に動かす。(エスプレッソは比喩ですが、私が違法なものを用いたことはもちろんありませんとも、ただからだが弱いだけの善良な市民ですから)疲れ切る。そのうち疲労の蓄積が限度になり鬱になるが、鬱なのでカフェインを自身に投与する。しかし疲労の回復にはならないしむしろ投与しても倒れる勢いで寝ることすらある。こうなると手に負えない。負えないので抗うつ薬残薬などで処方薬を過量服薬する。非常にバッドな時期が過ぎると減薬しないといけなくなる。というかむしろ間引く必要すら出る。ひどいときのために。いやほんとひどいな。