映画の感想2

 暇

 別に映画の話はしないですたぶん。いや全部見てないし、うるさかった。これで後ろの席の人間にうるさく騒がれたら情緒が決壊するので映画館で観なくてよかった、まあどうせ上映しないのでしょうけど、近隣では。というのは配信サービスの類で見たからです、「うるさい!」本当にうるさい。映画が。あほか。いやあほを描きたいのだろうから、あのうるささはたぶん功を奏しているのだが、うるさい。頭にくる。しかもそのファスト風土映画が撮影場所の少なくとも一つに面識のない知人くらいの土地を含んでいてファスト風土の住人としてはなきそうだよ、そうさここではどこにでもあるショッピングセンターのシネマコンプレックスでやってるような動員を見込みやすいものしか、あれ、映画の感想書いてるな、見られなさそうなので実は案外そうでもないがしかし残念ながら、本当に残念だよ、自殺しちゃいそうだ、徹夜明けに4回くらい性描写?のある「通常の」「狭義の」性描写のある映画を観たらそれは死にたくなるよ見ていてはなはだ気持ちが悪く、観客を不快にさせる以外の存在理由が思いつかない本当に、その映画の、とかではなく、表現として不快さを狙っているかは知らないが、不快なのでなおさら映画が見られないと思った、いや「広義の」「異常な」性描写(当人にとってのみ性的な意味を持ちうるような、たとえば自己切傷とか土を食べるとか人形を油で揚げるとかなにかそういう)ならまだ見られうるんだろうが無理だった、ので早送りした、最悪だ、何がって私の体調が。

 熱中症になりそうな気候なのでとにかく緑茶を飲んでいるので死にそうだしハイって言うのはね、部分的にあるからいいのであって、恒常的にあるべきではないんだ、時には眠るべき、そうですよ使い分けていきましょう、賦活剤と鎮静剤を。自分に処方されているものは適切に(適当にと言いかけた)服用しないとね、まあ処方の外の環境整備がごみ過ぎて死にかけてるのだが……。もう夜も明けますよ。私は人家でこれを書いており生家でもあり、家人が常にこちらに無意識の視線を向けていると思うと発狂しそうになるので彼らの眼瞼が閉ざされている間に絵を描いて文を書いて本をよんで入浴して食事は、適宜っていぅた感じで生活する手はずだったけれどもしかしたら死んでいるのかもね、何もわからなくなってくる。

 よーするに何かインプットが必要だろうという発想だったんですよ、だって好きな曲を聴いて好きな画集をみて好きな漫画を読み好きな本を好きな時に読み描きたい絵を描きたいように描くわけでしょう?それはあまりにも煮詰まりすぎてる。ノイズが要る。何が好きかを自覚するためにはきらいな要素を適度に摂取したほうがいい。好きなものだけの中にひたっていると何が好きかわからない状態になる。そこで不愉快または異質なものに触れるといままで見ていたものが好ましかったとわかる。

 わかりやすい壊れ方をしている。もうお盆なのですか。そうでしたその墓地参詣や死霊の祭りごとのせいで生家に人間がおり、不愉快なので、昼夜逆転とBGMもかねて……えーと、「アズミ・ハルコは行方不明」を見たのだがうるさいよなにか主要な脇役の男が。猿だってもう少しつつましいだろうに。というか猿はうるさいのか?厩に骨が飾ってあるイメージとレイニーデビルと異本猿の手飛浩隆)だがこいつらはみな死体で話さないな……いえ初めは「打ち上げ花火……」を観ようかと思ったんですが人間の清澄にいらだってしまい、やめた。そもそも邦画に字幕がついていないのは大変迷惑なので字幕があるはずだが、聴覚に障害がある人などが困るから、というか自分ももしかして聴覚に障害があるのでは、聴覚処理と言ったあたりで?もしくは視覚が多少人並みより、もしくは私の持ちうる近くの中では過分に得意なので聴覚があまり発達しなかった;人並みよりやや悪いのか。藪の中。というか信じられないだろなぜ徹夜明けにブログ書いているのか。

 音は、聞こえるのですがね。音は聞こえるしなんだかも分かっているつもりだが、文字として存在しないとどうにも落ち着かず、だから音楽が聴きたいときは極力CDを購入している、いつでも見られる歌詞カードはアートワークとしてよいだけでなく、実用にも優れる。それはまあ僕がVOCALOIDの曲をよく聞くせいでもあり時に母国語でない歌詞の曲も聞くせいでもあり、かつ母国語のリスニングが上手くいかないうえに同音異義語が間違えて選択される恐れが私に限らずあるからだとは思うが。

映画はストーリーが分からなくても楽しめる感じなのだと思ったから好きな方です。ストーリー!伏線!主人公の感情と運命の定型文とその破壊!みたいなものは疲れてしまいますね、文脈を共有していないわけだし、そもそもストーリーなどは私にとっては比較的どうでもよく、きれいな画像をつなぎ合わせるための接着剤程度に取ってつけたように存在してくれればそれで充分です。スプラッター映画のストーリーはそれほど重視されないと思っていて、それはスプラッター映画を見に来る、または見たい人間は人がむごく破壊されるさまが見たいからと考えるからあってストーリーはその破壊をいかに良く行うかを支えるものでありと書いてしまうと重要な感じがしますが、ストーリーを見にきてるのではないといいたかったのであり。

 因みにここでいう映画は先ほどの「アズミ・ハルコは行方不明」です。物語は物語であるらしいですが別に……女子高生の金魚窃盗は地方都市が地方都市過ぎて地方都市の住人の劣等感などをいかんなく引き出してくるので疲れてしまい観終わらず、したがって金魚も観ず。

 あとそれと、これは私にとって、または映画を見る人が映画の選定の参考にこれをするにあたりわりと重要ですが、私は映画がそこまで好きではない。映画を見るのに向いてもない。