うんざりするほど悪意

なにかと、疲弊している

 壁画にはこれでもかと机が書かれている。それを具合が悪くなる。私の言語は悪ですか、それを机でいっぱいの廊下で、押し込めたぬいぐるみの夕立ちを観ている。もう来ない夏を山に埋めに行く、そんなことはどうでもいいから早くこの場から立ち去りたい。永遠に留守番していたい。何もなければいいのに。ここに。言語化することは善ですか。私は具合が悪いがそれは言語化の程度が低いと思うんですよ。何かが起こった時にノイズを極小にすること。劣等感と、不自然なおさまりの悪さが飽和して、気分を最悪にする。この世にマシな場所なんてないが、ここよりましな場所はあるだろう。何だろう、近郊?観覧できないです兼がないのでアスファルトに混ぜ込んだ悪意が芽を出してお前は人権お外にいると話しかけてきた、そりゃそうだろ、このご時世にこんなクソ郊外に生まれた無能に人権なんかねえよごみ野郎が、お前もそう思うだろ?くそったれのマザー*ッカーが?この伏字は使ったことがないが、死が思考に嗜好に頻繁に浮上することは病的か、医学的定義の中で生活することは可能か?いい加減椅子もあるといいと思うけれどそんな暇もスペースもなかった、貸し会議室いっぱいに机を詰め込んだせいで取り出すのも容易ではないからだ、そこに鍋元が紅茶をもぅてきたが特に給仕とかではなく、ペットボトルのまずい茶を、ペットボトル入りの茶の中でも指折りのまずいやつを、自分が飲むように用意しているだけだった。賢い読者諸兄の皆さんならもうお分かりだろうが、紅茶は別に不味くないものだってこの世にはあるのにどれも悲惨なほどまずい思い出しかないわけで、こんなクソ地方都市に生まれた時点で敗北者確定の下級市民、もしくは二等市民。こんなことになるのなら生まれてきたくなかった。

 

 壁画を大根おろしにかける。悪意だけでは補いきれないおさまりの悪さにさらに悪を振りかけるがごとく。緑色の鳥かごに隠された人権破綻の去る冬の夕べに重ねた道のりははるかにかすみ人口過多の都市の心室肥大はとどまるところなく、雪平鍋の底にこびりついた信仰心の名残を焦げ付いた憎悪の形として『見せびらかしていた、ここから去れ』。惨憺たる健康被害のさなかに、環状線をくるくるくるくる降ってきた降雨量巷説の不具合、機械的短期記憶の、ワーキングメモリの、不備、給湯室で眠る、朝がきてほしくないのに人口が増え続けるので死ねば?死体が増えたところで誰もが迷惑するだけだから、人間は初めから存在するべきではないのだ。基本的には怨嗟と強迫症の才能がさわやかに微笑んでいたけれど無視した。なぜならここにには害意と嫌悪が満ち溢れているから、皿の中の本をひっくり返して描いてごらん、夜空の地図を、底には死者の骨、表層には生者の皮膚。なんも信じたくないね!