異邦人として生きること

 まじめな内容を持ちそうなタイトルだが私がまじめなものを書くはずがないので

 

 定型発達という言葉があると思うが、あるのか。まあ聞くからあると思いたい。なないのに使っていたとしても、造語の意図はない。私には。発達における健常者とでも、雑に言えるのだろうか。健常者という語は議論が多いし、そういうことだろうと解釈しているが、詳しくはブログではなくレポートが書けると思うから、述べない。ブログなので。

 第一、ブログの情報、うのみにしますか。参考にはするけれど、信用を置かないと思うし全面的には、というかまさかこんなブログの内容に大きな信用を置かないでほしいものだ。さて、定型発達という語であり、タイトルの「異邦人」である。

 

 私つまり筆者の発達は多かれ少なかれ、定型ではないと私には考えられている。医師による明瞭な診断があるわけではないし、明瞭に診断しうる程度のいわゆる「発達障害傾向」かどうかが当人にはわからないから、考えられている、程度の言葉で濁さざるを得ない。それはまあ、断言できない。診断もないから一応の指標というものが医師の発言のみになり、いやまあ、それ以外のもろもろの検査結果等も私の、「必ずしもの定型発達では無さ」を明らかにしており、都合二人から「あなたは自閉が強い」と言われているので、自覚としては自閉症圏の強い広汎性発達障害辺りを疑うが(自覚として、疑う?)、ともあれいやいや取りあえず、私は十割がたの定型発達とは自信をみなさない程度のことは言えると思う。

 

 で、異邦人だが、これは言語を異にするくらいの意味である。もしくは、韓国語を母語とする人間と英語で話す感じだが、これは英語が人口に膾炙しているから出てくるたとえで、一昔前ならフランス語かもしれないし、もっと昔ならなんだろう……ラテン語? いつの? 古典ラテン語が中世人との会話に有用かはよくわからない。別に古典ラテン語に詳しいわけでもないし。

 

 どうやら、定型発達の人間と、例えばASDの人間では、コミュニケーションの様式が異なるらしいのだが、うまく説明できるかはわからない。定型の場合、日常会話においては、言語以外の占める割合が高いとされているそうだ。身振り手振り、間投詞?

再現できる気はしないのだが、要は辞書を引いてもどうにもならないものが多いと私の実感が言う。それは非常に困る。辞書を引けないなら、意味の確認が困難となる。私の語彙はそう多くなく、言語理解とでもいおうか、意味の読み取りが決して上手ではない。言葉を知っていようと、用途がわからないから意味が取れない。逐一確認すると、「なんだこいつは」という話になり、筆談でも書面で渡すことでもしていただかないと、私の理解度としては状況がまあ好ましくない。あ、この、「まあ」とかですね。まあに意味はあるのですが、文章上の辞書的意味は薄いというか。例えば、「急性感染性呼吸器症候群」は意味の塊と言えると思う。不要な部分が微塵も見えない。

 

①あ、おはよう、えーと、うん、さっちゃんがさ、昨日の宿題なんだけど、君が、あー……なんだっけ、そうそう、ノート、貸してって。

 

感染症の予防においては空港や港湾などでの人間に対するスクリーニングの他に、主に食用やペットとし輸入される動植物の検査はもちろん、コンテナへの生物の混入への対策も必要である。

 

 ②は、感染症対策に決して詳しくない人間:私が例文として思い付きで書いたものだから、実は情報量が皆無である可能性があるが、もしそうでないと仮定して、字数当たりの情報量、文章としてのいみいみの伝達可能性を比較すると、私には①が困難でありやすいという話をしているのだが、そう取れるだろうか、意味を。

 

 かならずそうとは言わないが、どうも自分は文章的な人間らしい。で、「話しかたが文語的である」と言われたりする。

 

 もう疲れたから、適当に結論書きます。

 口語でのコミュニケーションが人よりなじまない! 口語的人間と話すと齟齬が酷い! 口頭の口語の意味が取れないしそういう話し方が意味が分からない。もはや異文化、異言語! という意味で「異邦人」なんですが、いや、口語怖すぎ。結論は以上です。

 

 別にもろもろの配慮はないししらんから、居酒屋の雑談レベルで聞いてね! 居酒屋の雑談がなんだか知らないけれど。