最近の落ち込み

雑記

 絵をがんばれないので死にたい。絵は趣味でしかないから別に無理に行ういわれはない。無いが、他にすることもないので絵を描いている。年齢からものごころのつかない期間を引いたくらいには描いていて、別にだから上手に書けるとか言うつもりはないし、空間表現が特にひどいのだが、別にその辺の技能的な話はまあよくて、人にものを習うのがものすごく苦手だ。教科書から習うのは好きだが、人から習うのが苦手でならない。まして絵などは趣味の問題で私にとってあり続けてきたので本当に人から習いたくないもので、何かを教わることは自分の否定だとみているからなのだが……。続けてきた趣味を正しさと権威で矯正されたら技術が向上して将来的には描きたいものがよりよく描けるようになったとしても、不愉快だし、なんというかそもそも自信がない。だから否定されるともう本当に駄目になる。自信なんていらないと人は言うが、自信がなくてもやっていける前向きさとか持ってません。そういう強固な精神構造とか柔軟な対応の姿勢とか、要求される者どもを僕は持ち損ね続けてきたわけです。

 教科書に人格はないからね。知覚も。実はあるのかもしれないが、そう思わないならこちらの勝ち。教師にあたる人間がブタとか南瓜だとは、どうしても思えないのだ。

 それからこのごろ壊滅的に体調が悪くて本当に頭が狂いそうなんですが、死にたいのは春だからですか。それとも年中死にたいんですかね私は? 

 

 それはそうとして、博物館の人体展に行ったのですがものすごく個人的にはあまり満足できなかったのですが、それは以下のような理由によります。というかそのメモを貼り付けておきます。

 

国立科学博物館で開催される人体に関する展示についてのごく個人的な感想

 

 物足りない!!

 

 なんだかちょっとおどろおどろしい展示の広告のデザイン(配色がおもに赤と黒)、臓器の標本があるので見たくない方は避けてねの表示など、たいへん興趣溢れる装いの人体展に行ってきました(見世物じゃないんだから)。正直、期待してました。これはもう以前物議をかもしたプラスティネーションされた人間の死体の展示並のものが見られるのではないかと、医学雑誌のカラー写真的なものが見られるのではないかと、絵の参考になるものがわさわさあるのではないかと、期待に期待を重ねていきました。確かに、解剖図は素晴らしいです。本当です。人体の構造や機能も、展示をよく見ればわかりそう(私は混雑にイライラしてよく見なかったけれど。)(だってお家に解剖学アトラスがちょっと古いけどあるからまあいいかなって。)。でも、でも、何かが足りない!(見世物じゃないんだから。)

 だいたい注意書きされている臓器の標本だって、特に注意書きの要るようなものじゃないでしょうとしかおもえない。色合い的には、法医学や外科学ではなく解剖学のアトラス寄りの、と言うか完全それな、保存された組織のパステルカラー。ありていに言うと、保存のせいで色が抜けてる感じ。そして心臓の拡大模型にはうんざり。(これは完全に私の気分の問題ですが)。

 そう日ごろ、気が向いた時にはちょっと頑張って所謂medical gore(ものすごく下品な表現だったらすみません。おおよそこれに当たる日本語って何ですか?)を求めてやまないわたくしのこと、ここは新鮮な臓器とか外傷とか手術画像とかその手の雰囲気のもの、普段解剖学のアトラスでは得られない何か、を求めていたんですが、無理でした(見世物じゃないんだから。)

 しかしですよ、見世物じゃない医学雑誌や医学書で私はちゃんと満足できます。でもこの展示ではだめ。展示の図録に払う2000円強があるなら、医学書用に貯金したい、そう思う展示。で、あまりの物足りなさに自然、検索窓に、「医学書 東京」と打ち込んでいました。ありました。文光堂書店!そこで見つけた題名に「創傷外科」とある本!印象が激烈なカラー写真満載で素晴らしいのでいつかきっとこれを買いたいと思いました(見世物じゃないんだから)。

 因みにこういうことに関して誤解を生むといやなので言い添えておくと、私は人間の新鮮な中身に興味があるのであり、そのシチュエーションにはさほど関心ありません。労働災害とかいう不幸を楽しんでいるように思われるのは癪……。思考し感じる主体としての人間は求めていなくて、ものとしての人体の中身及び損傷が見たいのです。結局損傷なので悪趣味なんですけどね。でもあなただつて時には廃墟が見たいでしょ? などと悪質な共犯者意識の植え付けを図りますね。私なら、これに1600円払う代わりに「形成外科」という雑誌の頭頚部再建特集号に3000円払います。趣味の問題ですけれど。」

 以上。とんでもない不謹慎メモですね。学習以外の目的で医学書を開く人に届けって感じですが、よく考えたら絵の参考にするから学習だ。本来の目的以外、と言うことで。