タイトルが書けない

自分が考えていることがわからないのでぶちまけるだけ

 ※真似しないでね。

 よく吐く方ではないと思うがコーヒーを飲むと吐きやすい。吐き気を感じやすくもある。それで今朝もまた吐きそうになって、吐こうとしたら、ビニール袋に吐こうとしたわけではあるのだが、その、「吐いても大丈夫な状況」に安心感を得てしまって何となく吐けなかった。いやあまり、吐けなかったというべきか。どのみち胃液と何か残りかすみたいなものしか吐くものがないであろうことは想像に難くない時間帯だったから、別に吐かなくてもいいのかもしれないが、なんというか、過量服薬、絞頸や扼頸、カッティングなどのわかりやすい自傷行為より目立たない自傷行為として故意に吐くこと、が自分にとって位置づけられていたので、この時は「もう吐くぐらいしか楽しみがないじゃないか」と、そのような気分だったのではないか。ないかっていうか、そうだ。

 で自分は、よく吐く方ではないし。いやよく吐いていたら、それは日常であって別に楽しいも何もないでしょう。というか自傷行為は趣味の一つではありえても気晴らしの一つではありえても、決して主要なものではないということは強調しておく。他に例えば読書のような趣味は普通にある。あるが、読書は集中力を要するのですよね。絵を描くにしろ、構図を気にしてみたり、出来栄えに気を配って彩色など、神経を使う。自傷行為は、カッティングだと(別に自己切傷と言ってもいいけれど、自己切傷の方がいいのだろうか?)どの程度力を入れるかとか刃の角度、新しさなどに気を配るから、あまりにも集中力散漫だと不可能だが、扼頸(手や腕で……腕は自分で自分に行うのはほぼ、私は無理だが……)なら最低限手が動いて物が握れるくらいの状態でできる。すごく楽。手間いらず。かつ、視界に異変があったり気が遠くなったりと、効果もある。別に扼頸の宣伝がしたわけではないし、したら問題があるので、これは自分にとってどうという個人的な感想にすぎませんよ、危険だから真似しないでね、最近記憶力があやふやですよと、因果関係のわからない有害事象の添付までして、社会的な対策としてみるわけだが、こんな構造の文を書く人間がまともな状態じゃないのはもう文章からわかると思う。徹夜現在進行中みたいな、きっとさっきからコーヒーマグカップに二杯くらい飲んでしかもその薬理作用?で多弁になったりしているんだな、みたいな、そのような想像ができそう。

 でなにが言いたかったのかというと、吐くものというか、吐きうるものが胃液のみ(推測)だと喉が痛いことが、他のすべての感覚に勝るな、っていうこと。これがもっとほかのものが胃に入っていると、吐く時の苦痛はまた違う印象になるというか、食道が傷んでそうと露骨に思うような喉とかの痛みではなくなる。表現がうまくいかないが、それは胃液のせいで腐食しているとかいう印象ではなく、文字通りの強引にもどしている苦しさ、だったと思う。+胃液の味。で、こっちが欲しくて吐こうとしたのに(単に吐きそうな状態で就寝を試みたくなかったのもある。吐きうるのなら先に吐いておこうみたいな)、私が得たのは粘膜が被害を得ていそうな痛みだった。喉が詰まるような感じでは全くない。詰まっては、胃の中に食べ物があるときで、吐いた時も、ないとは思うが、喉とかの圧迫感とか、表現を模索しているが、そういうのではなかった。

 散々嘔吐の話をして私の気が済んだので、この記事の文章は終わりです。