生存は最大のストレスの原因? 

 死は喪失を予防しまた喪失からくる負の感情への有効な麻酔になるという点で、希望となる。

 だから世の前向きさが信じられない。きっと自殺を選ばないために無理をして前向きな思考方法を自分自身に強要しているに違いない。

 強いられた世界を壊さないために辛い努力をしていて、しかもその努力は全くもって虚しいものなのだ。

 そして私はといえばその鬱がこのところの向精神薬の作用でそれなりに減弱されているため強力な自殺願望や自己破壊的行動こそなくなったものの、死を希望する意欲さえなく、私自身を浪費し、先延ばしを行い、苦しんでいる。

 そして必死で(!)苦痛をごまかす方策をとりつづけている。

 苦痛とは、存在することの一部であり、生まれついての伴侶であり、その背骨なのだ。

『生まれてこない方が良かった――存在してしまうことの害悪』(デイヴィッド・ベネター著、小島和男・田村宜義訳、株式会社すずさわ書店、2017年)(まだ読み始めたばかりであるのだが。)の87頁において、「ショーペンハウアーの見解によれば、苦しみだけが何にも依らず存在している。幸福とは、彼によればむしろ、苦しみが一時的になくなることである。」と書かれていたが、そういうことなのだろうと思う。

 生存していることがあらゆるストレスの根源にあり、いやそもそもここに今生存している以上、実質常に、次の瞬間に自殺を選ぶか生存し続けることを選ぶかを問われている状態にあり、今この瞬間に自殺しなかった以上、私はほとんど積極的に生存を選んでいるとさえいえるという点において、やはり生存は苦痛である(私はもっと消極的でいたい。)。そしてただ、消極的な在り方(積極的に自殺をしない)を選んだというただそれだけのことで、自分自身に苦痛を課してしまうということが、甚だ厭になる。