ワカサギ釣りの休日ではない

最近体調がまた崩れてきた

 

何がかわからない原因だが、体調が芳しくない、まともに歩けないし、立ち上がれないし、意欲も減退していて、出かける理由を頻繁に忘れ、出かけようとしていたことだけが記憶にあり、いざ準備をしようとして、私はこの外出の目的を何に設定していたのかと思う。調理をしない。なぜこんなにも食事を、私は私に要求するのか、苛立っている。体重も減らない癖に、食事を要求するな。おそらく塩味がほしいとかそういった、不純な動機なのだろう。塩味がすればカロリーや栄養価なんてどうでもいいのだろう。食事しようと思い食べ物をそろえると大抵食べきれないので、当惑する。なぜ、正確な量を予期して、私は呉れないのだろうか?『アレグリアとは仕事はできない』を読んでいた。久方ぶりに「木下古栗と二階堂奥歯円城塔とソローキン」以外のものを読んだと思う。そこに金原ひとみを加えてもよい。金原ひとみの「AMEBIC」と「憂鬱たち」は常に持ち歩く金原ひとみ枠にある。ななめ読みしすぎて人間にピアスッシングする技術者本人が一切ピアスを身に着けておらず、「興味がないから」と主人公に答えたことや、カフェでクリームの乗せられたラテを注文し「お詫びに大盛りにしました」とその技術者県カフェの従業員から言われて「盛るだと?」と考えたり、「はちみつもクリームも多ければ多いほどいいよね」「おわびーおわびーおわびわびー」などがそらで書けるくらいだ。そらでかいているせいで実際にはそんな内容がなかった可能性もあるが……最近ずっと、BMIが18を下回ってくれない。何が悪いんだろうと食事のたびに考え、しかし食事は、吾購入する、故に吾あり(変換に任せたら吾になったが我だよな)の一要素として経済活動兼レジャーであるので悩んでしまう。つまり、娯楽として面白そうなものや好きなものを食べるっていうこと。でもこんな田舎にそんなものはほとんどなく、と言えば大庭葉蔵じみてくるが、食べたい!という意欲がないのだった。しかし食事くらいしか楽しみがなく(本当か?)、それが寂しいから鬼滅の刃とか季刊エスとかTulleとか群像とか小説すばるとか現代詩手帖とかアレグリアとは仕事はできないとか朝日新聞の書評とか(金原ひとみ最近シオラン推してますね)生誕の災厄とかを読むのだ。生きにくさが高じて読書をし短歌を詠むのだ。知らないが。まあ高じてはおり、食べるときもいつも、はなはだしい空腹時は別だが、これが食べたいのか、私は?どういう意味で食べたいのだ?これを食べることで44㎏台が45㎏台の大台に乗ったりしないか?しかし食べることは鬱的気分の一時的緩和に役立つので食べるのも悪いばかりではない、しかしそれは食べたいのではなく鬱を緩和したいだけだしコーヒーではダメか?代替できない?カフェインなんか入れたってどうにもならないほど疲れてるんだよ!カフェイン入れたくらいではどうにもならないほど鬱で疲れていて栄養失調気味なんだよ!栄養失調はものを食べないとならないし、素材の味が生きている料理は素材が悪いと終わりだし、肉と野菜は外食で十全に摂取しにくいので困ってしまうよ。でも部屋にいたくないし出かけたくない。もうどうしたらいいかわからない。そうこうするうちに日が暮れて出かけられるようにはなるが(一番文字通りの意味でナイトウォーカーであるし、昼が苦手なので……眩しいし日焼けするから)その頃にはいかなくてはいけない事務室はしまっているのである。学生証の更新手続きができていない理由はその辺にあるのかもしれない。もちろん事務室に行くのが気づまりだという節もありはするし大ありなのではあるけれど。だから長文を久しぶりに書くのだろうが、もう日が暮れるから外にでも出るか、で、私はなにを目的に外出するんだっけ?amazarashiの「ボイコット」通常版?昨日散財したせいでもうだいぶ金を使いたくないというか緊張するので、いや、つねに何かしらの気まずさはある気がする。いつも現状に当惑するのだろう。