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今日は書けないのではないかな

 

 セーターで腕がもこもこしてすごく腹立たしいのでまともに打鍵ができませんが、実家が眠りについている今、活動しなくて何時活動するの一方、店舗の営業時間にしか店舗に行けないので昼は活動を強いられる一方、文章を書いていることが家族に発覚していたことが発覚し、そんなこと知りたくなかったよあんた、まさか読んだんじゃないだろうな?

 知りたくなかった……。お前(家族のだれか)には絵は見せていないし見せたくもないし、文章を読ませたくないのは私がシャイだからじゃあない、それらの性質上の問題、R18Gを家族に見せたいか?たとえそれが耽美に傾いていても。そうでないならなおさらに。セーター、本当に不自由を強いてくるから書こうとしていた内容を忘れたが、おそらくは以下のようなものだろうすなわち。

 

 俺、サークルの部誌(文章)の寄稿締め切りが明日で、一応文章は書いたんだけど、短いのが多いし、パッチワークするか迷ってるんだよね、ていうか字をノートに書いていて、いや、ちょっとオトナのオモチャ/鬱P feat. 鏡音リンをききながら書いているんですが、そういやヒステリックパニックのWILLはいつCDとかで聞けるのかなとかそもそもリンちゃんの声で非常に気が散るからBGMにするべきでなかったが、そもそもセーターの袖のせいで十二分に気が散っているので、もう何もわからなくなってきたが、それはさておいて、そのノートの文字群を正しくWordなどで清書する体力気力その他があるかわからないから不安なんだよね。

 ちゃんとほかのデスメタルもきくので安心してほしい。(何が?)

 さて、気が散るのだ。しかも、部屋にいる間は大体何か書くか描くかしているからアウトプット―だ、インプットしないとなあ、いや強迫神経症はちょっと落ち着いたんですが、朝から叫びだしていたので、もうダメですね、ここ宅地なのに。公団的な団地や集合住宅でないだけましなんですが、もう本を読ませろよ、疲れたよ、ゆえに本も読めない、疲れた、考えているだけで疲労が増してくる。体脂肪率は5%も増えているし、これ体重計の問題なのか私の問題なのかわからないな。わからないよ。常に13%とかいうしんじられん低値をたたき出していたからもう壊れてるんじゃないかと思っているし、10年くらい使われているし、体重計がいかれていてもなにもおかしくない。

 

 そういえば木下古栗の『人間界の諸相』(集英社)を買いましたが、感想らしい感想を書く気がしないなあと困り果てている。表紙は愛☆まどんな。いかにもじゃん。いかにもですよ。木下古栗を読みそうな人への的確な対応って感じ?愛☆まどんなの表紙がいい悪いではなく、それは絵が好きかどうかなら私は好きなんだが、そういう、いかにもいかにもこういうの好きそうな人が好きそうなものを合わせて出してくる感じ、できすぎじゃあないかい?私の思い込みか?それは例えばユリイカ西尾維新の小説が山口晃の挿絵だったか?で掲載?された?ともかくも、西尾維新山口晃が同居している号があった(誌面で)ときの感覚に似ている。「現代!」らしさが前面に出ている。わかりやすすぎる現代感。そこそこマイナーな、そこそこ……いわばサブカルな?層の文脈おさえてますよ感がすごい。別に私は現代出版、とか、同時代のサブカルチャーメインカルチャーの話とかをしたいわけではないし、そういうのはお寒いからほかの熱気のあるかたがやってくれ、私はそんなことのために参考文献15件!とか見つけるのは御免なんだよ、だからこそここのごみ溜めみたいな私のブログに投げ込むのだが、えーとつまり、そこそこマニアックでマイナーでカルトな作家を買いそうな文学ある程度以上オタクウケしそう、と思ってしまうんですよ。ゆえにそういう作品の感想なんか書くことで、ただ感想を書いたに過ぎないのに、「趣味がいいふりをしたがってるけど背伸びが透けて見える痛い子ちゃん」とか邪推されるんかいな、うんざりだな、と思うわけです。私は木下古栗のこの本を読むために買ったのであって、お前らに感想を読ませるために感想を書くために買ったわけではないし、まして、感想を自己表現として用いたくて買ってもおらず、「いまはやりの~です(流行にのれてます私でもちょっと外してるところもセンスいいでしょ)」みたいなことをしていると思われるのか心外だ!心外すぎる!感想は私だけのものにしたい!という思いがある。一方で、いやでも、私の感想から木下古栗を読み始める人とか、潜在的読者の掘り起こしたとか、あるといいよね、と思ったが、本を売るのは普通に私ではなく出版社の仕事ではというか、宣伝は宣伝をする人の仕事だからそこまで気負わなくてもと今思った。まあこのブログから読みたさを喚起されるのは難しくて、それは申し訳なく残念なことで、とはいえ内容について述べだすと別の記事になるので、私は感想をどこにどう描くか人に話すか、メモにするかで悩んだことがここでは言いたかったんですね。ついでにいえば、私はこの本が好きだしこの装丁が好きだし、美術品としても申し分ないと思っている。しかしその申し分のなさこそが私を不安にさせているような気もするのだ……。

 えー、自意識過剰について語ったら長くなったのでいったん切ります。たぶん後編はないでしょう。